いくら何でも、ヤフコメ閉鎖はやりすぎだ。
テレビのコメンターは、自分たちはテレビでいつでも自由に発言しながら、国民に対しては自由に議論できるネット環境を取り上げろという。
この状況は、やはりネット検閲の始まり、発言力の大きい人たちによる強権的な議論抑制、将来の言論統制の萌芽だと思う。
先の記事と同じく繰り返すが、国事と国税に関する公的議論について、統治機構は国民のどんな意見も、それが正当な法体系のなかにあるのなら、それを弾圧するための強権発動をしてはならない。
またネット上での誹謗中傷、社会的モラルを久しく逸脱する人権侵害については、警告と削除および情報開示を速やかに行い、刑事告訴できる法整備を進め、それを国民に広く周知すべきである。
私は宮内庁の声明のなかに、国民議論と報道の自由の抑制=戦前の皇室批判のタブー視のような、国民主権や象徴天皇制に挑戦する権力の不当行使の気配を感じ
それについて反射的に非難し、怒ったのであって、また国民には、賛成派や擁護派、反対派のいずれもをお互いに否定し、自由に意見することができる、議論の絶対的な自由がある。
私たちは民主主義の国家に生きている。
国民は今後も象徴天皇制の在り方について、誰でも自由に議論していい。
私は個人としては、現在の制度の国事行為の部分を縮小し、明治以前の宮中祭祀を中心とした神事に制度の中心をおくことで、皇族方のプライバシーを菊のカーテンの内にお守りし、
また旧皇族の男系男子の養子縁組がよりスムーズに可能になるのでないかと考えている。
制度の中心が国事→神事になるのなら、警護など国家予算も小さくなり、また神事を自由に覗けないのは当たり前のことであるので、
国民が皇族のプライバシーに自由に意見する機会も小さくなると思う。
この件について私にメールをくれた人への返信でもあるのだが、私はトランプ支持や反ワクチン派の意見について、それぞれが個人の思想と信教、信条の自由のなかで好きに表現するのがいちばん良いと思っている。
私は外交&国防についていえば、同盟と軍備拡大を支持するタカ派であり、また国内の内政については、同性婚や夫婦別姓について寛容なリベラル寄り、
つまり私は外交安保リアリズムのリベラル右派である。
このまま現状維持でいいという中道ではけしてない、いつも右と左の進歩的な考えに学び、自分の考えを左右それぞれに、より進歩させていきたいと願っている。
だから左右それぞれの進歩的な考えへの言論統制には絶対、反対である。
共産主義者も、リバタリアン、そして新自由主義も、この社会のなかで自らの思想や政治信条を自由に保持して良い。
このような私個人の政治的志向のなかで、この占いのブログは執筆されている。